22.リッチモンド (2004327日〜28日)

 

南部同盟博物館より

アメリカに来た当初、私の「国家」の概念は、「日本人」が住んでいるところが「日本」・・・と、その程度だったのです。日本には日本人が住んでいて当たり前。だから、元をただせば、それこそ世界中からの「移民」で成り立っているアメリカの、「アメリカ人」としてのアイデンティティーは、いったいどこにあるのだろう・・・と、ずっと疑問に思っていました。アメリカ史を紐解くうちに浮かんできたイメージは、アメリカとは、そこに集まって来た人々によって、文字どおり骨身を削り、時に血を流して「形作られた」国だということです。イギリスからの「独立戦争」に始まった、アメリカのアイデンティティー獲得の苦闘の数々。彼らがそれを語る時、避けて通れないのが「南北戦争Civil War」です。60万人もの犠牲を出した史上最悪の「内戦」――リッチモンドはまさに、その中心舞台でした。「南部同盟」の首都であり、戦闘の60パーセントが繰り広げられたヴァージニア州の中枢であり、その戦火の中から、リンカーンがかの有名な演説で、すべての国民の平等と権利が保障された、近代アメリカの国家理念を謳いあげました。戦争の終盤、北軍の手によりリッチモンドが焦土と化したところで、南北戦争は終結します。

 

前置きが長くなりました。ひとことで言うと、リッチモンドは、歴史がぎゅっと詰まった街です。近代的なオフィスビルの中に突然現れる、ヴィクトリア様式の邸宅や、20世紀初頭に、ものすごい勢いで張り巡らされた鉄道と接続され、貿易の要として大きな繁栄をとげた運河の「跡」など・・・さらに、現在は、ヴァージニア州の「州都」としての顔も持っている、見所の多い街です。

 

ジョン・マーシャル・ハウス

DCエリアから、車で約2時間。私達は、朝9時半ごろ家を出て、I-95号線の途中でハンバーガーのお昼を食べ、12時過ぎに到着。ダウンタウンの「南部同盟のホワイトハウス」のすぐ裏手の公共駐車場(週末は無料)に車を止めました。

 

実はデジカメの電池が切れそうだったので、電池を探して歩き始めました。が、そこはビジネス街のこと。お店は見つからず、博物館やコンベンションセンターの売店でも電池は売っていなく、仕方がないので、残った電池で節約して撮影することに。最初に訪れたのは、「ジョン・マーシャルの家」。最高裁判所長官やフランス大使を歴任した、リッチモンドの名士が、1790年に建てたこの家は、幸いにも南北戦争の戦火を逃れた数少ない建物の一つ。家具の半数はオリジナルだそうです。ボランティアのガイドさんが、パネルを使って丁寧に、マーシャルの生涯について説明をしてくれました。内部は写真撮影禁止でした。

 

ホワイトハウス」は、アメリカ連邦から離脱した「アメリカ南部同盟」が擁立した大統領、シェファーソン・ディビスの官邸だったところ。見学するには、隣の「南部同盟博物館」で、ガイド・ツアーに申し込みます。「南部同盟博物館」は、南北戦争の歴史を、時間を追って展示してあり、どこで、どのような戦闘が繰り広げられたか順序よく分かるようになっています。傷を負った兵士が自分の父に宛てて書いた、血痕の付着した最期の手紙が、生々しく戦火にまみえた者の悲しみを伝えていました。

 

その日は、博物館の前に、南軍兵士の格好をした男性や、黒の喪服らしきドレスに黒のベール(こちらも南北戦争時代のものらしい)をまとった女性が15・6人ほど集まっていました。いつもこういう趣向で見学者を迎えているのかと思ったら、その日は特別だったようで、係員に聞いたところ、戦争中に沈んだ潜水艦から(この「戦争」は多分、南北戦争とは関係ない。第1次か第2次か、ベトナム戦争か)遺体の一部が見つかり、DNA鑑定の結果、ヴァージニア州出身の人だと言うことが分かり、その葬儀(もしくは追悼式典)が、まさにそこで行われていたのでした。博物館のロビーには、ヴァージニア州の旗が掛けられた棺が安置してあり、その周りを、「南軍兵士」が交代で付き添っていて、最後には、棺の前に立てられていた南軍の旗に先導されて、博物館の入り口に待機していた兵隊&喪服の女性達に敬礼で見送られて、出棺。ちなみに棺が載せられたのは、リムジン風の黒塗りの普通の霊柩車でした。

 

南部同盟博物館 入り口

ロビーに安置された棺

 

軍楽隊に関する展示

 

 

ホワイトハウス。グレーに見えるのは私だけ?

 

ホワイトハウスのツアーの時間になったので、博物館のロビーに集合して、隣の建物へ移動。ホワイトハウスは、外見はグレーっぽい色一色で、装飾といえばギリシャ風の柱があるくらいで、それほど魅力的とは思えませんでした。内部は、当時の様式で再現してあり(学校として使われていた時期もあり、オリジナルではない)、綺麗でしたが、なんとなく古ーい「におい」がしたのと、とっても寒かったことを覚えています。1階が、政府の要人など、賓客を迎えたいわゆる「公邸」、2階・3階が居住スペースとなっていて、双方を比べると、内装が全く違います。「公邸」として機能していた方は、より華やかで、当時、出回りだしたばかりで、とても高価だった壁紙を多く使い、例えば、本物の大理石を使わず、わざわざ高価な大理石模様の壁紙を作らせて、見る人の目を驚かせたそうです。居住部分は、例えば、いすのクッションに、黒い色のとても丈夫な素材を使ったり(1階のはカラフルな絹)、壁の塗料に、白よりも安価だったライトグリーンを使ったりと、機能重視で節約していた様子が伺えます。子供部屋のとぎつい花柄だけは、いくら趣味が違うとはいえ、ちょっと許せない感じ。

 

夕方になってきたので、カナル・ウォークを散歩することに。カナル・ウォークとは、ジェームズ川に平行に掘られ、コンクリートで固められた運河に沿って完備された遊歩道。ところどころに、流通の要として栄えた当時の写真や、運河を巡る歴史についての展示がしてありました。発電所跡の廃墟や、倉庫や商社の跡、今も使われている高架の上のコンテナなどが、盛者必衰の寂しさを、醸し出していました。これも歴史の一ページ。

 

発電所跡

高架には今も貨車が走る

 

栄えたころの面影

 

夜は、101 N 5th Streetにあるバー「John Marshalls」へ。大人の雰囲気が漂い、ドライバーでなければ、カクテルの一杯でも楽しみたいところでしたが、私達はディナーだけ。チーズ・フォンデュと、ロブスターのカクテル、オイスター・ロックフェラー、ラムのリブを頂きました。おつまみ系なので、量はアメリカにしては少なめ。でも、お味は素晴らしかったです。お酒と一緒だったら、さらにおいしいこと間違いなし!

 

 つづく→

 

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