その1.バロックはイタリア〜ン!ナポリタ〜ン!カルボナ〜ラ!… ^^;

 

 

 バロック音楽と聞いて、まず思い浮かぶものは、何でしょうか?ヴィヴァルディーの「四季」?高級レストランのB.G.M.?学校の音楽室に貼ってあったカツラをかぶったバッハの肖像?(あの、女性のようなセミロングの、くるくるパーマの髪は、その時代の正装の時必ずつけたカツラなのです。)そういえば、中学校のころ、音楽の時間に、「バッハは音楽の父、ヘンデルは男だけれど音楽の母、といわれています。」と、まことしやかに教えられたのを思い出します。と〜んでもな〜いっっ!!!今や、バロック音楽が専門になり、バッハにいたるまでの音楽の、多様で、豊かな様子に触れている私は、その時の音楽の先生が、バッハ以前の音楽に明るい人だったら、きっと心が痛んだろうになぁ・・・などと、思いを馳せるのでありました。

 

クラシック音楽の歴史でいうと、バロックは、だいたい1600年頃から1750年頃におこった様式で、その前がルネッサンス、その後に古典派・ロマン派・近代・現代と続きます。J.S.バッハが亡くなった1750年は、バロック音楽の死んだ年でもあります(バロック音楽というのは、他の時代の様式と違い、だんだんに衰えて次の様式に移行するのではなく、突然に古典派の様式に取って代わられてしまいました)。私の専門とするチェンバロは主に、ルネッサンスからバロック時代の音楽で活躍するので、チェンバロ曲という大家族の中においてバッハの作品は、「父」どころか、「ひ孫」のさらに「末っ子」ということになります。ただし、この末っ子はたいした人物で、チェンバロ音楽のあらゆる可能性を引き出し、それを完成させました。もし、バッハを「音楽の父」、と呼ぶとすれば、チェンバロ曲に限らず、バロック音楽を完成させた、という功績があったからに他なりません。

 

さて、今回は、バロック中のバロック、イタリアン・バロックが成立した時代背景の1例を、書いてみたいと思います。

 

バロックの時代は、どこにもまして、イタリアが先駆の国だったのです。ヨーロッパ中の王侯貴族は、イタリア人音楽家を競って雇い、アルプス山脈より北で活躍する音楽家は、みずからイタリアへ赴いたり、イタリアの音楽の楽譜を手に入れて、その様式を研究したりしていました。かのバッハも、フレスコバルディーの曲集を所蔵し、ヴィヴァルディーのコンチェルトをチェンバロ・ソロのために編曲したりしています。なぜ、バロックがイタリアで先駆的な発達をしたのか・・・このテーマを詰めていったらきっと何冊かの本が書けてしまうと思うので、とりあえず、その理由をひとつ、ローマの音楽をめぐる状況の中からひも解いていきたいと思います。

 

サン・ピエトロ寺院 内部

 

バロック音楽が育ったのは、「教会」と「宮廷」の中でありました。ローマは、ご存知のように、カトリックの総本山で、教皇(仏教でいえば、大僧正の総元締めみたいなものでしょうか)が住まわれているところであリます。教皇は、枢機卿(すうきけい)の中から選ばれ、一度選ばれれば、死ぬまでその地位にとどまることができました。枢機卿になるために、ヨーロッパ中の貴族が、莫大な寄付をし、賄賂と陰謀を用いました。時には、教皇の独断で、教皇の「甥」なる人物が突然、枢機卿に選ばれたりしましたが、そういう人物は、妻帯を禁止されているはずの聖職者の、周知の隠し子である場合が多かったのです。枢機卿の生活は、「およそ150名の召使、料理人、芸術家、金銀細工師、音楽家などからなる世帯を養い、彼らすべてに住居を与え、所蔵豊富な図書館と演奏がよく共鳴するために空の花瓶を置いた音楽室をもつべき」(コルテーゼ、1510年)と助言されるようなものでした。カトリックを後ろ盾に持った教皇と枢機卿の町、各国から贈られる喜捨で、なんの苦労もなく得た富を、湯水のように使うことに慣れた町ローマは、恐いもの無しでした。マルティン・ルターを中心とした宗教改革の波が、北の国々から押し寄せるまでは。

 

北の国々の人たちにみずからの悪事を暴かれたローマは、焦りました。改革派をなだめすかす手だてとして、表面的には派手な生活を禁じ、教会での楽器使用を禁止するなどしたようですが、実際は、何とか各国からの巡礼者を減らさないようにと、 建築、美術、音楽でこの都を飾り立てることに躍起になりました。お陰で、ローマの音楽家たちは、枢機卿の館で、それまでとほとんど変わらない生活を送ることができたわけです。私は、イタリアン・バロック音楽の華やかさに、時折一種の「うそっぽさ」を感じることがあります。それは、その時代の音楽が、ローマの枢機卿に限らず、バロックの音楽家を支援した17世紀の封建君主たちによって、自分の権力を飾り立てるために利用されたという側面があるからではないかと思うのです。

 

ともあれ、イタリアン・バロックは、底抜けに明るく、楽しさに溢れています。殺伐とした現代に生きる私たちにとって、こんな楽しみを残してくれたいにしえの権力者たちに、乾杯!

 

(この文章は、‘99年4月8日、所沢ミューズ「キューブホール」で行われた「バロック音楽の夕べ Vol.2 〜華麗なるイタリア・バロックの調べ〜」のパンフレットに寄せたものを、一部編集して掲載しています。)

 

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